当初は自宅近くの産婦人科クリニックで出産予定だった我が家ですが、車で20分の総合病院での出産となりました。
NICUがあり、低出生体重での出産に対応してもらえる環境が整っており安心して入院生活を過ごしていました。
採血結果で炎症反応の上昇があり、抗生剤点滴で安定していたのですが、定期採血で炎症反応の再上昇を認めました。
これ以上陣痛を抑えていると、赤ちゃんが感染してしまい危険。と主治医から説明がありました。
朝一番で点滴(子宮収縮抑制の点滴)を中止し、陣痛を待つことになりました。
「早く赤ちゃんに会いたいな。陣痛って痛いのかな。赤ちゃんが小さいから痛みも少ないのかな。」
と期待と不安な気持ちで過ごしました。
「夕方には産まれるよ」と主治医から言われ、義母や実母が様子を見に来てくれました。
陣痛が来て痛みに耐えている傍らで義母と実母は談笑…
苦しんでいる私の横で「こんなもんじゃないわよ、まだまだよね 笑」と言われ、とてもストレスな数時間を過ごしました。苦笑
ついにしびれを切らして「二人共帰ってください」と丁重にお願いしました。
実母は、産まれてすぐに会いたかったらしく…。義母が帰ってからも静かに付き添ってくれていました。
待てども待てども子宮口が全開にならず、時刻は23時を回りました。
朦朧とする意識の中で陣痛もどんどん強くなり…
「あーもう無理だ。」と思った瞬間。隣のナースステーションから看護師さんがバタバタと入って来ました。
どうやらモニターの胎児心拍が下がって来たようです。
「すぐに分娩台に移動します」と車椅子への移乗も一苦労。
分娩台に移ってからは、「まだいきまないでください」と何度も言われたのを覚えています。
「え??いきむって何?」
看護師さんやNICU・産婦人科の医師がバタバタと集結。
「はい、いきんでいいですよ。」
「?!!! んーー」
3回目くらいでスルッと産まれてきました。
「あれ?泣き声が聞こえない…(不安になるやつ)」 …肺が未熟で産まれてくると聞いていたので、とても心配。
NICUの先生が抱きかかえてくれた頃に小さな産声が聞こえました☺
すごくホッとしたのを今でも覚えています。
抱っこすることもできず、しばしのお別れです。
立会分娩だったような、急すぎて立会はできなかったような…夫の存在感なさすぎです。
そのまま長男はNICUに入院になりました。
夫がNICUの先生からICを受けて病室に戻ってきました。(この時のことは覚えてる 笑)
「思ったよりも元気そうよ。泣いてたから思ったより肺も大丈夫らしい。」と一言。
その言葉に安心して体の軽くなった私はぐっすり朝まで快眠でした。
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